のんべんだらりの葡萄姫

マスカットちゃんの日々いろいろ

利休にたずねよ。小説も映画も素晴らしい作品

秀吉の茶頭として、侘びを完成させたと言われる千利休が、こだわり続けた美の根底には浅ましくも高麗の女との逃避行劇があった。

んーゾクゾクするわ。このどこがホントでどこが嘘なのかって感じ。ね。
利休にたずねよを改めて読んだんですよ。久しぶりに。
前に二度は読み返したような気がするんだけれど、細かい表現にまで気を配って読んでないような、雰囲気で文章を流したような気がしてついつい読みました。そのときは私にとって映画の補足としての位置づけだったからような気もするので、仕方ないですね。改めて文学として、利休にたずねよを楽しみました。


https://ameblo.jp/darkpent/entry-11727510707.html
色々と映画での演出について、嘘真を書いている記事です。


利休にたずねよも大好きなんですけど、この記事も好きなんですよ。
歴史的背景も細かく指摘されていて、これは嘘、そんな事実ないからー!とフィクション部分をつらつら書かかれてます。
小説を読んだ身としては「いやいや、小説では秀吉さん香合だけじゃなくて橋立の茶壺も欲しがってたよ―!!」とか、映画で省略されている部分についてのツッコミに逆ツッコミを入れたくなるんだけど。
だって小説での会話のシーンまるごと映画にしてたら時間が足りないもの。仕方ない。
それはそれとして、この人は「嘘を嘘と知りながら映画を見たほうがもっと楽しめる」と言っているんですよ。それがまさしく作品の楽しみだと思うからこそ、この記事が好きなんです。


こういう時代小説を書くときって、なるだけ時代考証をするよう心がけますが、それじゃあ不都合なときってあるんですよ絶対。
だって時代に合わないからって筋書き変えちゃったら、つまらない歴史資料になっちゃうじゃないですかぁ?
だから違うな、間違ってるな、と思いながらも嘘を織り交ぜつつ本当にその時代そうだったかのように書き上げるわけです。
この嘘が物語の上ではとっても大事なんだと思うんです。嘘だと感じさせないような創意工夫こそ時代小説における作者の腕の見せ所。「こういう嘘があるんだよ」と一々暴き立てなくちゃいけないくらい創意工夫を凝らされた作品だと考えたら凄いと思いませんか。指摘を受けた作者がにやり、と不敵に微笑んでそうです。ああ好き。


さて、高尚で、静謐で、この世のすべての美は俺が知ってますと言わんばかりの天下一の茶人が、俗人と同じく色恋に溺れた過去があって、分厚い面の下にその浅ましさを隠して隠して隠したまんま割腹すると言うストーリー。
元は商人、茶人、天下人の側近――けれど死に様はもののふの如しってね。かっこよーーーー!


あと映画の海老蔵さんすんっごい!(語彙力ない)
本人は、千利休に自分は合わないとずっと断り続けていたらしいのですが、いっそ千利休はこの人にしか演じられないんじゃないかっていうくらいハマってます。


というわけで映画も小説も「利休にたずねよ」オススメです。
小説は初見戸惑う部分も多いので、映画の方が見やすいかな。
ちょっと前の作品なので色々と探してください。